Jのこと


(ダーの撮影)

3月の末に、悲しいできごとがありました。

ダーの親友の一人が突然、仕事中の事故で亡くなってしまいました。
かつてのバンド仲間で苦楽を共にし、今でも会っていた、25年以上ずっと、ダーの大切な友達だったJ。
わたしはダーほど会ったことがあるわけではないけれど、会うときにはいつも親切にしてくれて、ボートに乗せてくれたり、娘を連れて引越しの手伝いに来てくれたり、何よりダーがバンド時代の昔話を嬉しそうにするときには、必ず名前があがっていた友達でした。

Jはバンクーバー市の職員で、市の公園などの木の管理をする仕事をしており、作業中に予期せず大木が倒れて、その下敷きになってしまったそうです。
めったにない公務員の事故、それにJやダーたちのバンドがかつて、インディーズでは知る人ぞ知る有名なバンドだったため、何度もニュースで流れました。
テレビの中で、知り合いが悲痛な面持ちでインタビューに答えているのを見るのが、あまりにも非現実的で、何度もこれが何かの間違いであってほしいと願いました。
バンクーバー市役所は、彼の死を悼んで半旗をかかげ、ダーと二人でそれを見に行きました。

Maple Ridgeで執り行われた葬儀では、1200人もの人々が参列し、バンクーバー市長もスピーチをしました。
Jが亡くなった日も、その翌日も信じられないような快晴で、その後葬儀の当日まで、ずっと晴れの日が続きました。
満開だった八重桜は、葬儀の翌日の大雨で、その大半が散りました。

ダーの大切な友達で、たくさんの人に愛されていても、仲間の誰よりもガッチリと体格が良く(しかもかなり慎重な性格だったらしい)、43歳という若さで、まだ10歳の娘を残すことになっても、それでも人は、ある日突然、何の意味もなく死ぬのだと思いました。
「友達なんていつでも会える」
そう考えることがただの傲慢なのだ、と、今回のことでしみじみと思い知らされました。

それでも良かったことは、Jの死をきっかけに、仲間たちが大勢集まり(スウェーデンやメキシコからも友人たちが葬儀にやって来ました)、Jを偲んで、彼の死を通してそれぞれの絆を確かめ合い、これまでに経験しなかったような、濃密な時間を過ごせたことだったと思います。
自分にもそういう仲間がいるのでよくわかるのですが、10代や20代で出会った仲間たちと過ごした時間は、何よりもかけがえのないもの。
こんなにみんなに集まってもらえて、昔の思い出話もたくさんしてもらえて、きっとJも喜んでいたんじゃないかな。

Jの死後、不思議なことがときどき起こり、ダーは
「Jがまだ近くにいる気がする」
と、言っていました。

いつもノーテンキなダーが、泣くのを見るのはつらかった。

きっとこれからは、八重桜が咲くたびに、Jのことを思い出すことになるだろうな。
個人的に、あまり「RIP」という言葉が好きではないので、かわりにお礼を言いたいと思います。
Thank you so much for everything and we all miss you, Jody.

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